救助体験実話集

MFA受講者による救急・救命の事例を集めました

この善き隣人賞の実話集は応急手当の方法を伝えることが目的ではなく、救助者の努力を認め、他の受講者の励みになってもらうことを目的に代表的な救助の例を掲載してあります。

女性が交通事故で頭部出血

日時
2015年1月7日
場所
千代田区神田小川町の交差点
救助者
横山淳一さん

出来事と救助者がとった行動

勤務先のビル前の街路で、タクシーに追突された女性が3~4m飛ばされて路上に落下。ビルに設置されているAEDを持参し、状況確認。受傷者の観察と声がけを行いました。状況は頭部受傷による出血多量、意識レベルはゼロで反応なし。弱いながら呼吸はあり。体の右側を下にして横たわっていたので、異物によるちっ息の恐れはないと思いました。体位の変更は行わず、呼吸の観察と脈の確認を継続しました。出血部が頭部であったため首を動かさずバイタルの確認中に救急隊が到着。処置をして搬送されました。AEDは使用しませんでした。搬送時には、女性と言うこともあり、見物人からの目かくしを、シートを使って救急隊員と行いました。

救助者の感想

MFAでの訓練スキルは生きております。反省点としては、携帯しているグローブを事故現場に持っていく時間がなく、グローブの着用ができませんでした。また、あまりに多量の出血だと受傷部の圧迫を行うにあたり頭部だと判断が難しいことを勉強しました。四肢等の出血であれば、止血の作業もやりやすいのですが、難しい部位もあると再認識しました。救急隊の流れもMFAでの講習通りでした。再度復習と受講した内容の再確認を行いました。女性の回復を祈っております。

マラソン大会での心停止

日時
2012年3月20日 9:40am頃
場所
大阪城公園太陽の広場特設マラソンコース
救助者
宮浦博之さん(MFAインストラクター)

出来事と救助者がとった行動

この日は、大阪城公園においてリレーマラソンというマラソン大会を実施しておりました。一スタッフとして参加しておりましたが、応急救護の心得があると言うことで、万一の場合は対応を依頼されておりました。関係者から「選手が倒れている」と言うことで、現場にかけつけました。見かけた方の話では、突然崩れるように倒れたとのことでした。これが1件目。またその40分後、見学者から「人が倒れている」と声を掛けられ、看護師と共に現場に駆けつけました。

1件目では、たまたま参加者に医師の方と研修医の方がおられ、先に到着したAEDを装着しており、ショックの指示が出ており、スイッチを押しましたが、反応が無く、医師の方と共同で、胸部圧迫と人工呼吸を行いました。その間に、警備スタッフ、関係者に救急車の手配状況の確認と誘導路の確保を指示。2回目のショック指示が出て、蘇生ができました。

2件目では、到着後すぐに呼吸をチェック。呼吸してないことを確認しCPRを開始し、看護師にAEDを準備してもらいました。一度目の電気ショックで、蘇生しているようでしたが、十分な反応が見えず、看護師が脈をチェックしたところ非常に弱いと言うことで、引き続きCPRを継続しました。(その間にAEDは、2度心拍チェックを行う。)しばらくすると、大きな呼吸が見られ、経過を観察。その後到着した救急隊に引き渡しました。

救助者の感想

近年、角地のマラソン大会では、AED使用が頻繁になり、いつかはと思う傍ら、滅多に起こることでは無いと思っていましたが、1日2件発生し、関わった全ての方が、「初めての体験」とおっしゃっていました。訓練の成果は、十分に出たと思います。マウスバリヤーやグローブも準備していたので、何のためらいも無くCPRに入れましたし、小さな動きも見落とさず、蘇生に至りました。

この件ではその後、大阪市中央消防署から迅速且つ的確に、またチームワークも良く、応急救護に当たったと言うことで、関わった方々と共に、消防協力賞と感謝状をいただきました。また患者は、お二人ともその後しばらく入院されていましたが、無事退院されたとのことです。

電車内での失神

日時
2006年6月1日 21:00pm頃
場所
茅場町駅付近
救助者
紺野重喜さん

出来事と救助者がとった行動

東京メトロ茅場町駅付近・下り電車内で、40代女性が急に倒れました。周りから見たら意識はありましたし、足がつったのかな?という感じでした。その女性はすぐに立ち上がり、前に座っていた人が席をゆずったものの断り、そのまま立っていました。その後自分はその女性の吊革をつかむ手が痙攣しているのを見たので、もしかしたら?と見ていたら、案の定倒れ、意識を失い、顔は青ざめ、口からは嘔吐がありました。嘔吐によって近くの人は、パ~っといなくなり、自分は倒れたのと同時に女性に近づき、体を横にして嘔吐物を出し、声をかけました。意識は戻りましたが、念のため電車は発車を止めてもらい、女性の状況を見ていました。職員が来たころには立ち上がることができ、女性はトイレに行きたいと言って降りて行きました。職員の方には、ついて行くようにお願いしました。女性は、「酔っているから。」と言っていましたが、特にそのような臭いは嘔吐物から感じられなかったです。

救助者の感想

嘔吐物を見ると周りの人は怖がることを改めてわかりました。自分はとにかく気道をふさがないようにと思い、横向きにして顔を下にするようにして、嘔吐物を出すようにしましたが、心停止だった場合の事を考えると、どのような手順にすべきであったかを考え、イメージトレーニングの繰り返しが大切だと感じました。

道路上での通報

日時
2005年11月25日 10:00am頃
場所
東京都内 港区南麻布 路上にて
救助者
TOさん(客室乗務員)

出来事と救助者がとった行動

その日 私は近所の病院にいくために3歳の娘と一緒に家を出ました。しばらく行くと歩道上にうずくまっている男性の姿が目に入りました。 ?、と思いながら近づくと若いスーツ姿の男性でした。最近の若い人は平気で地面に座って休む人もいるので、そのまま通り過ぎようとして 気づきました。しゃがんだ姿勢のまま失禁していたのです。これはまずいと思い、とっさに話しかけました。

  • 「お客様!」って、違う違う。(客室乗務員としてのいつもの癖でつい)
  • 「どうしました?大丈夫ですか?」 反応がありません。すると傍らからおばさんが、
  • 「私も声をかけたんですけど反応がないんです。どうしましょうか。」と言うので、
  • 「失禁していますね。すぐに救急車を呼びましょう。」と答え、

携帯電話で救急車要請をしました。連絡先として自分の携帯の番号を 教えておいたのですぐに救急車の中の救急隊の人から電話が入りました。

以下、会話の内容です。Kは救急隊の隊員さん。Oは私です。

  • K 「通報してくだっさった方ですか?」
  • O 「はい、そうです。今患者の横にいます。」
  • K 「どのような状況でしょうか?」
  • O 「呼びかけに応答しません。バイタルを取りたいのですが娘を抱いているので片手でしか作業できずにいます。」
  • K 「失礼ですが、医療関係者の方ですか?」
  • O 「いえ」、違いますが、JALの客室乗務員で、MFAプロバイダーです。片手でわかる限りでは、体温は正常で、脈も触れています。」 電話口の向こうから声が聞こえてきます。
  • K 「通報者、客室乗務員。MFAプロバイダー!」 同乗者に伝えているようでした。
  • K 「わかりました。それではお任せしますので、われわれが到着するまで現状の維持と経過観察をお願います。」
  • O 「はい、わかりました。それではよろしくお願いします。」

何人かの人が近くに寄ってきたので、それぞれの人に指示をしてお願いをしました。

  • K 「すみませんが、救急車がすぐに場所がわかるように誘導をお願いできますか?あなたは、自転車がぶつからないように交通整理をしてください。すみませんがどなたかこの人がいつからこ  こにいたのか知っている方はいらっしゃいませんか?」
  • X 「30分くらい前からいたかしら?」
  • O 「30分前ですね?」・・・

救助者の感想

MFAプロバイダー(国際救急法資格取得者)は、救急隊が到着するまでに、どのようなことをしなければならないか、ということを中心に訓練されます。 CPRとAEDだけがMFAプロバイダーのやることではありません。現状を安全に保つ、事前に情報を収集する、患者の経過観察に努める、 などです。しばらくして救急車が到着しました。その男性は、救急隊の呼びかけに応じる気配を見せました。経過と連絡先などを救急隊に引き継ぎ、MFAプロバイダーとしての私の役目は無事終わりました。国際救急法の訓練を受けていて本当によかったと実感しました。

ケイレン

日時
2004年10月5日
場所
静岡県・長野県 信州まるベリーオートキャンプ場
救助者
片山 順雄さん

出来事と救助者がとった行動

平成16年10月5日の夜、私のキャンプ場の食事処にて家族で食事をしていてそろそろ食事も終わろうとしていた時でした。私の母親(81歳)が突然ケイレンを起こし見る見る血の気が無くなって、脈もほとんど感じなくなり大きな声で呼んでも反応が無く、体温がどんどん下がっていきました。

子供に救急車を呼ばせながら私は母親を床に寝かせ心肺蘇生法を思い出し、時間も数分しか経っていませんでしたのでイチかバチかやって見た所、息を吹き返し血の気も良くなって来ました。その後救急車が届き搬送入院となりました。約3週間入院し、その後は今迄と変わらない生活をしています。

救助者の感想

まさかこんな事があろうとは思っても見ませんでした。ふるさと案内人の講座で受けたMFAが自分の母親の命をとりとめるとは思いませんでした。改めてこのMFAの講座を再度受講してもっと詳しく覚えたいと考えています。

会議中の急病

日時
2004年4月4日 5:00PM頃
場所
ゴルフ場の研修会
救助者
東京都北区・輪島節雄さん(2004年4月3日MFA受講)

出来事と救助者がとった行動

2004年 4月4日、ゴルフ場の研修会の会議中、副会長の具合が急に悪くなり、額から汗を出しテーブルにふせてしまった。意識ははっきりとしており、『 救急車を呼ばなくても良い。』と意思表示をしていたが、脈が弱く、半年くらい前に手術を受けていたことも知っていた為、インスリンのこと等心配になり、本人を無視して救急車を手配した。 他の人が同時に家族へ連絡をした。その後、生命に問題なかったとの連絡をもらい安心した。なんと、MFA受講の次の日のことだった。

プールでの急病

日時
1999年10月
場所
福島県・福島市内のプール
救助者
松野輝美さん(MFAプロバイダー)

出来事と救助者がとった行動

私はスイミングのインストラクターをしています。スイミングの成人レッスン中に50才以上を対象にしたクラスがありますが、そのレッスンでのことです。

私のレッスンが終わる頃、隣のコースのレッスン中に頭痛を訴えている方がいるとのことで、自分のクラスを終了して事情を聞きに行きました。その方は急に後頭部(首のつけ根の部分)に痛みを感じたらしいのです。すぐにプールサイドに上げましたが、横たわったまま動くことができません。私はすぐにスタッフを集め、その方の手を握ってしきりに呼びかけ、同時に責任者を呼びに行かせ、毛布を持ってきてもらいました。しかし、状況は好転しないので救急車を呼んでもらい、家族に連絡をしてもらいました。患者の荷物もまとめさせたりしていると、その方が汗ばみはじめ、暑さを訴えたので上半身だけ毛布をはぎ、救急車が到着するまで呼びかけと呼吸、脈拍のチェックを続けました。救急車が着いた頃には意識はなく、呼吸と脈拍は若干早くなっていたように思います。

その後は救急隊に任せ病院へ行きましたが、クモ膜下出血だったそうです。3人に1人は亡くなってしまうという程の重体でしたが、数週間で意識を取り戻し、多少の後遺症はあるものの自宅で生活できるようになるまで回復したそうです。

救助者の感想

その方を担当していたコーチはふるえが止まらず病院へかけつけた時には貧血で倒れてしまうほど驚いていました。私は幸い何度かMFA講習を受講し、その度に何かが起きた時どのように冷静に対処すべきかを自分なりにシミュレーションをしているせいか、冷静に対応できたのではないかと思います。いつも講習で「その場にでくわしたら動けなくなる人が多い」と言われますが、やはり、一瞬どうしたらいいか足がふるえる程の恐怖感に襲われました。しかし、助けなければ、という責任感が私を支えてくれたように思います。

意識不明患者

日時
2003年12月22日 9:00pm頃
場所
JRの根岸線 関内駅
救助者
千葉県・堀切宏明さん(2003年12月21日MFA受講)

出来事と救助者がとった行動

混み合う電車の中、関内駅でも相変わらずたくさんの人が乗ってきた。車内は、暑いなぁ、と感じていたら、2mくらい先の入り口付近で立っていた40、50才男性がいきなり倒れた。スーッと突然倒れたので車内はその人に注目し、ものすごい沈黙であった。そしてその人の周りには50cmほど避けて間が空いていると言う様子で誰も行動していなかった。(患者は顔色が真っ白であった。目は白目)後頭部をスコーン、と打ったように倒れてから私はすぐさま、バックを連れの彼女に渡し、人をかき分け、その人の横に座った。そして、肩をたたきながら、『大丈夫ですか?』、と意識の確認を行った。意識がないようなので、『これから救助を行います。』と言って患者の口元に耳を当て胸を見ながら、呼吸の確認を行った。息もしており、呼吸はしていることがわかったので、続いてけい動脈に手を当て循環を調べた。これもあったので、回復体位をとらせた。また、次の桜木町駅で近くの人に車掌さんに連絡してくれ!と言って止めてもらった。

救助者の感想

前日に講習を受けていたので、すぐさま、『これは、オレがいかなくては!他に誰がやる!』、という思いですぐに行けたことが今でも自分で言うのもなんだが、すごいと思う。だが、これも前日に講習を受けたと言うことがとても大きいだろう。しかし、この経験から大きな自信となった。次にこういう経験をしたら今度もきっと救助にいけると思う。だから、みなさんも恐れることはないです。MFAという実践向きな講習を受けたのだから、自信を持ってください。(実際やっているとき、A- B- C- のサイクルを意識していました。)

溺水

日時
2001年8月12日 4:00pm頃
場所
京都市右京区JR保津峡駅下
救助者
谷 哲也さん(2000年4月2日MFA受講)

出来事と救助者がとった行動

ラフティング・カンパニー「ビッグスマイル」のラフティング・トリップがJR保津峡駅下でゴールする頃、パトカーのサイレンが聞こえ何ごとか起こったことを知った。JR保津峡駅下まで来ると別のラフティング・カンパニー「アースグラフィティ」のスタッフから溺れた人が下流に流されたと報告を受け、ボートの出動要請を受けた。

我々はとりあえず、ボート1艇を川岸まで持っていき待機、「アースグラフィティ」の一人が警察からの指示を仰ぐため、また、状況把握の為、待機している間に、対岸で溺水者が引き上げられました。対岸へ行ってみると、遊泳中の外国人数名が初期の救命活動を行っていましたが、CPRを引き継ぎました。溺水者は意識、呼吸なし、多量の嘔吐あり、脈拍の有無は未確認。救急隊が到着したので引き継ぎました。

救助者の感想

溺水者はかなりのアルコールを摂取していたようで、それが溺水の原因と思われます。私がサイレン音で異変を感じた頃、周囲を観察したが、事故発生に全く気づかず多くの人が何ごともないように遊泳していた。私が現場に到着したとき実際に救命活動をしていたのは遊泳中の外国人数名だけで、日本人はそれを遠くから眺めているだけだった。溺水者の友人らしき1名はすぐそばで半狂乱の状態であった。日本人と外国人の危機管理意識の差を見せつけられた気がした。

人工呼吸のバリアを使おうと思ったが見当たらなかった。後で調べてみると、ちゃんとファーストエイドキットの中に入っていた。緊急時に落ち着きを失っていたようで、反省すべき点である。

事故発生から通報、通報から発見、救命活動まで、かなりの時間がたっていたようだ。事故発生時に即座に何かの行動を起こしていれば、もしかしたらという気がしないでもない。残念だ。

子どものチョーキング(のど詰まり)

日時
2008年3月3日 8:00am頃
場所
東京・文京区 自宅
救助者
伊奈 和美さん(2008年2月28日MFA受講)

出来事と救助者がとった行動

3月3日の夜、11:00頃、ペットボトルで遊んでいた8ヶ月の息子が ペットボトルのラベルをかじって飲み込んだようで、詰まったのか、苦しそうに涙もポロポロ流しているものの声が出ない。受講したのがつい最近のことだったので、すぐに思い出して、息子を腕に乗せてあごを固定してバックブロウをしました。 4,5回で吐き出すことが出来ました。その後、すぐに機嫌がよくなりました。

救助者の感想

受講したときは、いざというとき冷静にたいしょできるかものなのか不安でしたが、今回、実際に救助活動をしてみて、 案外冷静に落ち着いてできたことに驚きました。そしてさらに自信がもてたと思います。 だっこしたときの息子のあたたかさを感じるたびにインストラクターの天木さんとの出会いや救急法を受講したことに感謝しています。

祖母が突然のどを詰まらせた

日時
1992年9月某日 6:00pm頃
場所
東京・練馬区、自宅・台所
救助者
北島 利恵子さん(MFAプロバイダー)

出来事と救助者がとった行動

当時、このような報告をすることを予想していなかったので日にちは覚えていないが、家族で夕食をとっている時の出来事です。食事中、祖母が突然せき込み、苦しみ出した。何かが喉につまってしまった様子に、すぐにチョーキングだと判断できました。

あわてた私は、思わず背中をたたきましたが、異物はとれませんでした。そのうちに祖母の唇は青ざめてしまい、苦しみながら床に倒れてしまいました。私はとても慌てていたのですが、「落ち着かなければ。そうだ、私は手当の仕方を習ったはずだ」と思い、母親と二人で祖母の体を起こし、後ろに回って、習ったように腹部スラストを施した。

3~4回やった頃でしょうか、「ゲボッ」という咳と共に、詰まっていた物が出てきました。

救助者の感想

祖母の顔色も良くなり、笑顔が戻ったときは本当にほっとしました。同時に、MFAの講習を受けていて本当に良かったと思った。「苦しかったけど、楽になったよ。ありがとう。」と言う祖母の言葉を聞けて何だか自信が出てきたのです。

クモ膜下出血

日時
2000年3月20日 11:20am頃
場所
神奈川県労働教育福祉センター 詩吟コンクール会場
救助者
吉田 信正さん(1998年7月15日MFA受講)

出来事と救助者がとった行動

65才のご婦人が独吟コンクール(一人で吟ずる)の舞台上でマイクに立った瞬間、その場で転倒。私は舞台にかけ上がり、応急手当を施しました。 ご婦人は仰臥位で倒れていたので和服の帯を解くように周囲の人に依頼しました。脈と呼吸の確認は冷静にできましたが、脈拍は強くしっかりしており、呼吸は口でうなるような不規則な呼吸でした。まず、気道を確保し、声かけを行いました。それから周囲の人に救急車を呼ぶように頼みました。参加者の中に看護婦さんがいて途中から参加してもらいました。看護婦さんはさかんに彼女をたたき、声をかけました。嘔吐があったので頭部を看護婦さんにまかせて私はご婦人を側臥位にしました。ご婦人の手を握ってみると痙攣し始めていました。顔面は蒼白です。消防署は隣にあるのに救急車が到着したのは15~20分後で、待っている間、とてもイライラしました。

救助者の感想

20日ほどたって入手した情報では、ご婦人はくも膜下出血だったとのことですが、日頃血圧が高く、当日は高血圧治療剤の服用をしていなかったとのこと。2回の手術の後、一命をとりとめたが、現在入院中とのことでした。 受講の結果なのか、私は発作的に舞台にかけ上がり手当を始めていたのが不思議です。初めての経験でしたが意外に冷静に対応できました。手当の内容は気道確保を重点に行い、声をかけ続けました。救急車の到着が遅かったのでイライラしていました。

クレーンの横転

日時
2000年2月12日 3:00pm頃
場所
福岡県粕屋郡、金属作業所
救助者
吉田 森昭さん(2000年2月11日MFA受講)

出来事と救助者がとった行動

クレーントラックを操作中にトラックが横向きに転倒し、人が下敷きになった。事故を目撃した同僚から連絡があったのでかけつけた。すぐに救急車の手配を依頼し、他のクレーン車で下敷きになった人(金属作業所社員)を外に出した。講習で習った通り、手袋を装着して事故者に近づき状況の確認をした。事故者は自力で息をしていた。意識もかすかにあった。耳から血を出していたが少量だった。リカバリーポジションになっていたので動かないように支え、話しかけて意識の確認を続けた。救急車が来るまで動かないように本人を励ました。約5~7分で救急車が来たので状況(呼吸、意識、出血の有無など)を説明し引き継いだ。

意識のあるケガ人

日時
1999年8月1日 10:00am頃
場所
那須高原温泉スキー場(パラグライダーエリア)
救助者
馬場 賢親さん(1999年6月23日にMFAインストラクター資格を取得)

出来事と救助者がとった行動

友人がパラグライダーでフライト中、突風にあおられ操縦不能になり地上から5メートルの空中で失速し、腰から墜落して背骨を圧迫骨折しました。私が丁度近くに居合わせて一部始終を見ていたので直ちに現場に急行し応急手当を施しました。

現場の評価をし、意識レベルの評価をしました。意識はありますが重度のケガです。救急車到着に40分はかかる場所なので車で搬送することを判断、一番近い救急指定の整形外科病院に連絡を入れました。目視で初期の評価を行い、気道、呼吸、循環を確認、腰の痛みを訴えていたので、できるだけ動かさずに楽な体位にしているように指示しました。脊髄の損傷はないように思いました。木のドアを担架代りにして車へ乗せ、病院へ搬送しました。搬送中に本人に確認をとり両親に連絡しました。病院到着は10:30am頃で、すぐに診察を受け、背骨の圧迫骨折と判明し、そのまま1ケ月入院となりました。両親の到着まで付き添い、両親に状況を説明して終了しました。

交通人身事故

日時
1998年7月23日 8:47am頃
場所
栃木県芳賀郡付近の交差点(信号なし)中央部
救助者
森下 洋行さん(MFAインストラクター)

出来事と救助者がとった行動

出勤途上の坂道の交差点中央部に小型トラックが横転していた。場所は我が社の関連会社の前。「あ~あ、こんなところで・・・」と思った瞬間、横転したトラックの助手席のピラーの下から人の顔が出ているのを発見した。 事故車の近くに当事者らしき人物が2~3名いた以外は誰もいなかったので、事故直後らしいことが推測できた。

救急処置の必要性を直感したので、私の車を左に寄せ、歩行者がいないことを確認のうえ、ガードレールの切れ目から歩道に乗り上げて停車した。患者は完全に車の下敷きになっており、頭部から出血が見えた。救急車の必要を判断し、周囲の人に「救急車を呼んだか?!」と呼びかけたが、まだだとの返事だった。

携帯電話(IDO)から通報しようと、あらかじめメモリしておいた栃木県消防本部を呼んだが交換手が出てしまい、緊急通報は無理と判断、一般電話からの通報をすることにした。隣接の会社から人が出て来たので、通報を頼むと、すでに呼んだとのことだったので、私は患者のケアを開始した。

患者は50才くらいの男性。横転時に助手席から放り出されて、そのまま車の下敷きになったらしい。車の看板から造園業者の作業員らしい。患者に呼びかけても応答はない。目は開いていたが眼球の動きはない。患者の胸部から下は完全に車の下敷きとなっており、呼吸など、できている様子ではない。このままの状態では気道開放すらできない体位だった。

二次災害の防止のために、現場にいた人に交通整理を依頼した。事故を知って集まってきた人達数人が力を合わせて横転したトラックを起こした。トラックはギアが抜けているようで、そのまま坂道を動き始め、数人があわててしがみつき、停車させたが、二次災害の危険性があった。 この前後に、セルフプロテクションの必要性を思いだし、CPRキットを取りに自分の車に戻った。私は車載してあるライフジャケットにCPRキットを常備してある。

トラックの方は他の人々に任せ、私はラテックス手袋をはめ、患者の呼吸と脈拍をチェックした。頚動脈では脈は感じられず、他の人が手首でも脈をチェックしたが、判然としなかった。

さらに他の人が呼吸のチェックをしていたが、頭部後屈で気道を解放しても呼吸は感じられず、胸部の動きもなかったため、CPRが必要と判断した。頭部下部より若干の出血(100ml程度)が認められたので、気道開放のために極端な頭部後屈にならないように注意した。

一緒に容態確認をしてくれていた人に「心臓マッサージをしましょう」と声をかけると、「私が人工呼吸をしましょう」と申し出てくれた。このとき、とても心強く感じた。キットからマウスシールドを取りだし、患者の口に挿入して人工呼吸の準備をしてからマッサージを開始した。ランドマークチェックをしようとしたが、肋骨を多数骨折しているようで、正確なランドマークは確認できなかったので、胸部中央上部に手を置き、圧迫を開始した。肋骨損傷があるので、力を加減しながら3~5cmほど沈むくらいに圧迫した。

次に、マウスツーマウスで息を吹き込んだが、明確な胸部の盛り上がりは見えなかった。しかし、人工呼吸を担当している人が呼気は入っているとのことだったので、CPRを継続することにした。

CPRを継続し、5分程経過したところで人工呼吸を担当している救助者に疲れが見えた。白い制服を着ている周囲の人達に「誰かCPRできませんか?代わってください」と呼びかけたが、ほとんどの人は顔を見合わせているだけだった。誰もCPRの訓練を受けていないのかと、とても残念な気がした。一人、私服の人がかわりましょうと名乗り出てくれたため、人工呼吸の担当を交代した。

救急車がいつ着くのか、ずいぶん長い時間が過ぎたように思った。散乱したガラスの破片のために人工呼吸がやりにくそうなので、周囲に敷布を要求したら誰かが制服を脱いで数枚提供してくれた。

このあたりから、患者の腹部が固く膨満してきた。腹腔内部の内出血が予想されたが手の施しようがなかった。更に3~5分ほどCPRを続けたところで救急車のサイレンが近づいてきた。やっと一次救命処置から解放されると思ったが、実際には隊員が担架を用意したりして患者を引き取る準備をしていたので、さらに2~3分かかったのではないかと思う。隊員側の準備ができたところで患者は救急担架に移されて救急車内で器具を使ったCPRが継続された。

この段階で、CPRに拘わった人達で労をねぎらい、一次救命処置を終了した。

はじめに人工呼吸をしてくれた人は50才くらいの関連会社の方だと思われる。後に人工呼吸を交替してくれた人は20才代で、HGT社の方だと聞いた。事故を見かけて停車してくれたそうだ。

経過時間ははっきりとは分からないのだが、事故発見から車を起こした後のCPR開始まで1~3分が経過したのではないかと思う。その後、救急車到着まで約10分位だろうか。車に戻って時計を見ると、9時7分になっていたので、トータル約20分間の救急処置であった。CPR完了後に周囲を見渡して見て、左側面を大破した別の車を発見し、衝突事故だったことを知った。

救助者の感想

患者の容態がかなり悪そうだったので蘇生できるかどうか、かなり厳しい状況と思われた。翌日、死亡事故発生の看板と献花があったので、亡くなったことを知り、とても残念に思った。

実際の現場における救急救命処置は初めてであったが、MFA講習を受講していたため、自信をもってCPRを実施できた。

マウスシールドの効果は絶大である。マウスシールドがあったおかげで、他の人も人工呼吸への抵抗感が少なかったのではないかと思う。

多くの通勤途上の人が現場付近を素通りしていたが、CPRを援助してくれたのはたった1人だけだった。それでも大変有難かった。多くの社員が社内ファーストエイドを受講しているはずだが、実際の現場でその技術を提供できない(しない)のなら、何のための訓練だかわからないなと感じた。(これはそのときの感情的な感想であり、決してその内容を否定するものではありません)正直なところ実践的であるという点で、MFAコースのほうがより有効であると感じた。

また、救急処置後のファーストエイダーに対する心理的ケアの必要性を痛感した。私自身も終了直後から極度に憂鬱な気分になり、気分が悪くなった。

反省点として、第1の患者に目を奪われ、その他にケガ人がいるかどうかのチェックができなかった。実際に他の被害者がいたかどうかは最後まで分からなかった。後の情報で、他に負傷者はいなかったと知った。

SETUPを意識してできたかどうか。SETUPという言葉はその場では思い出さなかったが、以下が当日とった行動である:
S(ストップ): 歩道に乗り上げて停車して、立ち止まりはしなかったが、周囲の安全は確認のうえ、接近した。
E(環境): 交通事故であることが明白だったので、周囲の交通状況のみに注意した。
T(交通): 交通量が少なかったこと、見通しの良い交差点であること、トラックの横転が明白であること等から二次災害の危険性は低いと思ったが十分な安全確保ができていたかどうかわからない
U(未知の危険): 未知の危険要素はなかった。しかし、横転車を起こしたとたんに坂道を転がり始めたため、二次災害の危険性がなかったとは言えない。また、割れたガラスが散乱しており、CPRがやりにくかった。
P(セルフプロテクション): CPRキットを常備しており、ラテックス手袋とマウスシールドを使用した。

交差点での交通事故

日時
2009年4月26日 9:30am頃
場所
福岡市博多区 県道555号線交差点
救助者
緒方隆二

出来事と救助者がとった行動

2009年4月26日(日)午前9:30頃のことですが、自宅近くの大きな交差点で事故の音がしたので様子を見にいくと、直進してきた乗用車と右折する軽自動車が交差点内で衝突事故を起こし、交差点脇に乗用車と軽自動車が信号に衝突して停止していました。横断歩道を渡りながら、救助にかかわろうと決めました。

近づきながら安全を確認し、3名くらいの男性がいたので119番通報をしたか確認し、乗用車運転手を探すと、フロントが壊れ、アクセルを踏み込んだ状態で止まり、大きなエンジン音がしている車の外で電話をかけていました。エンジンを切るように頼み、軽自動車の様子を見たら、同じくフロントが潰れ,信号機に衝突し、運転席に挟まれた女性がもうろうとした状態です。後部座席にチャイルドシートが見えたので、同乗者はいないか尋ねると,子どもが後部座席にいると言うので覗き込むと足元にうつぶせの子どもがいました。少し動いていたので、近くにいた方に母親の頭が動かないように支えてもらい、1歳くらいの子どもを取り出しました。抱き上げると泣き出しましたが、そのまま頭を動かさないように抱きながら、母親の頭を固定していると,私服の消防士が駆けつけ、すぐに母親の頭部固定を代わってくれました。救急車が来るまで子どもを抱き、近くにいた知人に救急車の誘導をお願いして、到着した救急隊に子どもを渡しました。

救助者の感想

とにかく驚いたのが、MFAのガイドブック通りにすべてが進んでいることに途中で気づき、段々冷静になってきている自分に気づいたことです。 それは、衝突音を聞いて様子を見に行くことで緊急事態に気づき、現場手前の横断歩道を渡りながら救助しようと決断したところから始まり、そこからは勿論、SETUP、バリア、意識レベルの評価、背骨の受傷機転と、ガイド通りに体が動いたのです。ただ、グローブがなかったので、着ている服の袖を伸ばし車内にあった布をバリア代わりにして頭部を固定しました。頭部の出血はほとんどなかったので血液が手につくことはありませんでしたが、大きな反省点になりました。

しかし、事故後4時間たった今も、私は緊張しているのか?興奮しているのか?体の震えなのか?変な感じがします。これからゆっくり休みたいと思います。

バイクと乗用車の接触事故

日時
2004年9月27日 7:40am頃
場所
静岡県・静岡市、横内町交差点
救助者
田村 明美さん(MFAプロバイダー)

出来事と救助者がとった行動

静岡市内の通称、『北街道』横内町交差店(押しボタン信号)付近を歩いていたところ、同交差点内で原付きバイクと乗用車との接触事故が発生。原付きバイクを運転していた老人(70才台くらいの男性)が、車道のまん中に投げ出され、倒れたままになった。患者にかけ寄り肩をたたき、「大丈夫ですか?」と声を掛けたが、返事はできない状態。とりあえず「応急手当の訓練を受けていること」と、自分の名前を言い、救助に当たることにしました。

患者は呼吸がしっかりしていて循環の徴候もありましたが、右足のくるぶし辺りからかなりの出血がありました。けいつい損傷の可能性もあると思い、その場から動かさず、まわりにいた方に 通報をお願いし、同時に交通整理を行いました。

患者のヘルメットをそっとはずし、声をかけ続けると、私の声に反応するようになり、自分から立ち上がろうとしたので、首にケガはないと判断し、まわりの方に手伝ってもらい患者を歩道に運び、「回復体位」にさせました。足の出血部分も骨折はなさそうだったので、タオルで傷口を直接圧迫し、救急車が来るのを待つ間、名前や電話番号などを聞きながら患者を励ましました。

救助者の感想

私は、救助に当たった1週間前(平成14年9月20日)にMFAベーシックの訓練を受けたばかりでした。正直申しますと、仕事で必要だったので半ば義務的な気持ちで受講し、受講時も「実際に使うことはないだろう。」と思っていましたので、たった1週間で自分が救助に当たることになったことは本当に驚きです。もし、訓練を受けていなかったら、患者にかけ寄る事はできなかったと思います。

患者は意識もあり大ケガもしていなかったとはいえ、とても緊張しました。しかし、訓練を受けて日が浅かったため、自然に体が動き、落ち着いて行動することができました。訓練を受けて本当に良かったと感じると同時に、大変貴重な体験をしたと思います。

トラックとバイクの衝突事故

日時
2003年8月14日(通報時間 PM 0:49)
場所
北海道上川郡美瑛町字新星第4
救助者
柳田 和美さん

出来事と救助者がとった行動

箱型トラックと83歳の男性が乗ったバイクが、信号のない交差点にて衝突した現場を通りかかった。 私が到着した時には既に車が7~8台停車して、遠巻きにして自衛官と思しき1人が交通整理をしていた。 私は車を事故現場から少し離れた邪魔にならないと思われた場所に駐車。車の中の救急救命道具 箱からバリアを取り出し、装着しながら患者に近づき現着。レサコのマウスチューブは常時携 帯。このとき既に、患者のそばにいた二人の男女のうち女性の方が携帯で119番通報していたので、切らないようにお願いする。 患者は事故直後のヘルメットを装着した状態のまま、 路上の縁に横たわり、足は不自然に折れ曲がり、鼻血も少々見られた。 患者の様子をチェックして、救急法の講習を受けた者ですと自己紹介をしたが呼びかけに対する反応なし。 呼吸なし、頚動脈の脈なしを確認して、携帯を貸して貰い、たぶん消防署の方だと思うのですが直接話をし、 患者の意識・呼吸・脈なしの状況を説明。CPRをするかどうか尋ねると、CPRができるようだったら お願いしますとのこと。消防車の到着予定時間を聞いたところ、もう間もな くとのことだった。

次にヘルメットを脱がしましたが、この時先に救助にあたっていた男女の女性の方 が「何かできることありませんか」と積極的に協力を申し出てくれたのが、嬉しかっ たのと同時に安心感もでました。ヘルメットの脱着に関して、たぶん協力者の手を借り たのだと思いますが、正確には記憶していません。このことはむずかしいと思われ る、ヘルメットの脱着(特に今回のような意識・呼吸・脈なしの状況と頚椎にもダ メージが予想される場合)に課題があったと、後日思いました。ヘルメットの脱着後、片耳から はほんの小量の出血が見られたと記憶しています。

次に、口腔内異物の確認、何もなかった。 そして気道確保。これも頚椎にもダメージが予想される今回のような場合、下顎挙上 法が最善だとは思ったが、この下顎挙上法を私が充分にマスターしている自信がな く、とっさに自信のあるアゴ先挙上法を実行しました。 次にCPRの実行に移るべきだったのかもしれませんが消防隊の「間もなく到着」という言葉で、 現実には実行せず、このアゴ先挙上法を続け消防の到着を待ったのが今回の状況で す。この間の消防隊到着までの時間が正確に何分だったのかが、私自身も気になるところです。大変に 長く感じられたのも事実ですし、短かったようにも思え、間もなく到着するのだから という気持ちもありました。

この時は初めての体験だったことと、患者の鼻血、そして 「間もなく到着」という言葉等から、1~2分でもCPRを実行できたかもしれませんが アゴ先挙上法を続けながら消防隊の到着を待ちました。 今は迷うことなくCPRを実行するでしょう。

消防の到着後、患者のシャツを特殊なハサミで切り開き、口からチューブを差 し込むところまでお手伝いをしてから立ち上がり、外したバリアの処分を消防の方に依頼し、現場を離れました。ちなみに、消防の到着時間は、0:59p.m.とのことでした。

子どもとトラックの衝突事故

日時
1999年4月20日 3:00pm頃
場所
埼玉県・戸田市内の公園前の路上
救助者
安住 恵美子さん(MFAプロバイダー)

出来事と救助者がとった行動

私は友人の川平さんと各々の子供計5人と公園で遊んでいたところ、公園から5歳位の子が道路へ飛び出し、生協のトラックに衝突してしまいました。現場を目撃していたので、すぐに自分の子供を友人に頼み、かけつけると、トラックから2メートルくらい離れた所に子供が横たわっていました。すぐに人が集まってきて「はじのほうに動かして救急車を呼ぼう!」と言っていたので「ちょっと待って下さい、動かさないで下さい」と、まず、叫びました。子供は目がうつろで、小さな声で「お母さん」と泣いていました。「大丈夫だよ、すぐお母さんくるからね」と言いながら、「近所の人、誰かバスタオルを持って来て下さい!」と言いながら、衣服をゆるめ、脈を計りながらMFAで習った通りの行動をとっていたようです。後で一緒にいた友人(看護婦)が『私の知る限り言うことはなかった』と褒めてくれました。

救助者の感想

その後、親ごさんが私を探し出し、家まで訪ねていらして「事故直後の処置がとても良かったですと救急隊の方がおっしゃってました」とのことでした。脳出血はありましたが、動かさなかったのが幸いして命に別状はないとの事でした。私も心からMFAを受講しておいてよかったと思っています。

自転車事故

日時
1995年6月17日 4:00pm頃
場所
事故:稲城市是政橋 手当:稲城市大丸2249
救助者
山田 信幸さん(MFAインストラクター)

備考/救助者自身が1992年3月19日にMFAインストラクター資格を取得し、学生を対象に応急手当教育を行っている。 下記は消防本部から礼状をいただいたケースだが、同氏は他にも多くの場で救助にあたっている。

出来事と救助者がとった行動

大学のサッカー部の対外試合終了後、車で帰宅中、是政橋にさしかかったが、付近の歩道に5~6人の人だかりが見えた。

その、やや前方に、顔面から出血しながら自転車を押す50才過ぎの男性と、車道から声をかけながら追いかけるバイクの男性が見えた。橋の継ぎ目で乗っていた自転車ごと転倒し、顔面をぶつけたとのこと。周囲の人達が救急車を呼んだが、当事者が立ち去ろうとしたので救急車を待つように説得していたとのことだった。

車を徐行しながら横目で様子を見ると、かなり出血していたので、車を止め、持参していたドクターバッグ一式を持って駆けつけた。 男性は少し酔っていて、傷口を見せるのを嫌がったが、私が身分を明らかにし、手当の声明を行うと、男性はやっと座って様子を見せてくれた。バイクの男性も、「こういう人なら見てもらったほうが。」と言ってくれ、救急車を待つ間、渋滞のために混み合っていた交通に注意してくれた。

ラテックスグローブを着用し、滅菌ガーゼで直接圧迫を行い患部の保護を行った。2~3分後に救急車が到着、警察も来たので、経過と処置を報告、身分を明確にしたうえで、帰路についた。

救助者の感想

男性のその後の詳細は不明だが、稲城市の消防本部より礼状を頂き、男性の無事を知った。改めて、手当の声明の大切さと周囲に与える影響の大きさを知った。また、消防本部からの礼状から、救急隊の方々がいかに初期手当を重視しているか、一般市民の協力を期待しているかということを知る良い機会となった。

草野球での心停止

日時
2009年9月28日、9:40AM頃
場所
埼玉県入間市黒須グランド
救助者
五十嵐 篤さん、熊野 博仁さん、伊藤 健二さん、尾沢 浩史さん、錦古里 太一さん(全員2007年7月9日にベーシック受講)

出来事と救助者がとった行動

埼玉県理容生活衛生同業組合で野球大会を開催した時のことです。試合中に,深谷支部の男性(60歳)が1塁ベースを回り、2塁ベース上で突然前に倒れたのですが、 うつ伏せで呼吸が荒く、グランドの砂を吸い込む状態でした。脳には影響がないと判断し、数人で,頭、胴体、足と同時に反転、仰向けにして救急車を要請しました。 その直後に顔色が急変し、呼吸が停止して、呼びかけにも反応がないため、心臓マッサージをしました。一時的に呼吸が戻るものの、再び停止。気道確保、心マッサージ、 脈拍チェックを手分けをしました。人工呼吸のためのバリアを用意し、顔からの出血はタオルで止血し、救急隊の到着まで声をかけ続けました。 到着後は速やかに救急隊に現状報告、引き継ぎをしました。倒れた人は無事に退院することができたと、本人から後日連絡を頂きました。

救助者の感想

突然,目の前で人が倒れたことにびっくりしました。何度か講習を受けていたことと、同じ講習を受けていた仲間がいてくれたので、気持ちの余裕ができ、 コンタクトをとりながら適切な対応に近い行動が自然にとれたと思いました。一人の力というより、みんなの力、協力があったのが一番の要因だと思います。 同じ講習を受けた熊野、伊藤、小澤、錦古里やたくさんの仲間がいたおかげです。講習を受け、事前に備える大事さを知ることができました。

出勤中に心停止の現場に遭遇

日時
2008年7月16日、午前8時頃
場所
横浜市緑区
救助者
森 哲也

出来事と救助者がとった行動

2008年7月16日、午前8時頃、仕事に行くため自宅を出たところ、道の向こう側に座り込んだ老人(男性)を抱きかかえた老人(女性)を発見、近づくと、男性は意識がないようだった。近くにいた女性が119番をしていた。意識がなくなってから1分くらいらしかった。

抱きかかえた女性に状況を確認後、男性を寝かせて呼吸を確認したところ、呼吸もなく心停止状態だったため、胸部圧迫のみのCPRを開始した。 救急隊は、その後1分位で到着し、2度目のAEDショックで心拍再開、病院へ移送されました。

現在、男性は心臓の手術をして意識も回復、後遺症もないそうです。

救助者の感想

ベーシックプラスを受講してから、いつかはこのような状況に遭遇するとは思っていたが、こんなに早くおとずれるとは思っていなかった。しかし、いざ、その場になると「自分がやらなければこの人は死んでしまう」と思い、すぐ行動に移ることができました。 男性が回復したこともあり、MFA講習を受けておいて本当に良かったと思えました。

注: 森哲也さんは、この経験から後日(8月28日)MFAインストラクター資格を取得し、講習活動に従事しています。

東京駅で心停止の現場に遭遇

日時
2006年4月4日、8:15AM頃
場所
東京駅
救助者
山本 加世(MFAインストラクター No.200685)

出来事と救助者がとった行動

2006年4月4日(水曜日)のこと、東京駅で、午前8時15分頃、人ごみを発見、近づいて見るとすでにAEDを装着した65歳の男性が倒れていました。 現場の女性が1ショックを施したあと、私へバトンタッチ、CPR4サイクルを2回施したあと、通電(2回目)、CPR4サイクルを1回施したあと通電(3回目)、そのあとはCPRのみを4サイクル7回施したところに救急隊が来ました。 (レスキュー呼吸はライフガードの資格を持つ駅員がすぐにやってくれました)

私は救急隊員と警察官に報告をしたあとで、現場でAEDを使っていた女性のケアを始めました。彼女は看護師資格を取ったばかりで経験が浅いため一度は通りすぎたものの、 やはり気になってAEDをあけたそうです。彼女が現場に戻った時は、通行人の通報により警察がかけつけていた時で、その直後に駅員がAEDを持ってきたそうです。 男性は倒れてから10分は経っているようでした。

彼女の手を握り、背中を触りながら話を聞きました。泣ければ泣いてしまったほうがよいと告げると、辛そうに「こわかった」と泣き、私もしばらくはそばに付き添いました。 私の連絡先とPTSDのケアの説明をして彼女と別れました。

その後、消防の方から伺いましたが、男性は結局蘇生できなかったものの、ご家族はおかげで最後の時間を一緒に過ごすことができたと、感謝してくれたそうです。

救助者の感想

自分のバリアーだけで、駅員、女性が素手で行っていることに配慮をしなかった(気がまわりませんでした)ことが反省点です。 また、マウスシールド越しとはいえ、マウス・トウ・マウスに躊躇してしまいました。(正直、生理的にどうしてもできませんでした)

AEDは誰にでも使えます。でも、自分の体を守ることはトレーニングをしないと得られないことだと思いました。私にとっては、初めてのCPR体験でしたが、 この技術は「使える」技術だと改めて実感し、確信することができました。

消防の方は事情を聞いて彼女にお礼を言って終わりましたが、私は救助者側のその後のケアーが本当に大事と思いました。 そして、すべてではなくても早急のケアーで改善できると思い、これを伝える使命を東京駅で受けたと思いました。

私自身、今回ほど仲間の存在に感謝したことはありませんでした。MFAインストラクターの山田かほるさん、山田政利先生、熊澤インストラクターには、 電話、メールでのひっきりなしのフォローを頂きました。そして、みんなが言う言葉は「何時でもいいから辛かったら電話して」です。 私は早目のこうしたフォローのおかげで当日はよく眠れて、翌日はかなり冷静に考えることができました。皆さんのフォローのおかげです。そして私は太いのは体だけではなく神経も太いみたい・・・もう大丈夫です。

編集者註

その後、山本加世さんは消防署から感謝状を頂いたそうです。 直後のアフターショックから少し時間が経った後でも影響が出ることがあるので、何度でも、同じことを同じ人にでも、 遠慮せずに話を聞いてもらうことが大切だということを山本加世さんの経験が実証してくれたようです。MFAインストラクターの鑑ですね。

スタッフの心停止

日時
1996年10月9日 11:35am頃
場所
東京都北区、高齢者施設
救助者
A.U.さん(MFAプロバイダー、ご本人の希望によりイニシャルで記載)

出来事と救助者がとった行動

高齢者施設での活動中、別のへやの職員が突然私を呼びにきた。行ってみるとボランティア活動中の女性が床に倒れていた。 手当の訓練を受けている男性ボランティアと二人で対応した。患者には呼吸も脈も感じられなかった。MFAでは救助者1人のCPRを習ったが、男性救助者が人工呼吸を躊躇したので、彼に胸部圧迫を担当してもらって二人CPRを行った。

CPRのリズムと手順を思い出しながら続けると、途中何度か患者が荒く呼吸を始め脈も戻る。廻りに安堵の色が浮かぶが、チェックをしていると再び呼吸も脈もとまってしまい、CPRを繰り返した。しばらくして救急隊員が駆けつけ、患者を病院へ搬送した。

救助者の感想

その後、患者は病院で息を吹き返し、後遺症もなく無事に退院したとのこと、ご本人から自筆のお手紙をいただいた。手紙には、「あの高齢者施設で倒れたから私は助かったのです。家でたった一人の時だったら、誰も気付かないうちに死んでいたかもしれません。本当にありがとうございました。」とあり、彼女の回復を嬉しく思うと共に、私自身とても幸せな気持ちになった。

私が所属している福祉協議会とボランティアセンターは毎年、ボランティアを対象にMFA講習会を開催しているが、この高齢者施設は奇しくも一昨年の会場でもあった。ボランティア講習の一環としてファーストエイドが必要だろうと漠然と考えて毎年受講してきたMFAの講習だったが、本当に役に立った。

呼吸を入れた時に最初はうまく入らなかったが、なぜだろうと考えた時、「口をもっと大きく開けなくては」と気付いたが、講習を受けた/受けないの差はこのようなところに出るのだろうと実感した。 良く知っている人だったので今回はバリアなしでできたが、全く知らない人だったら躊躇したかもしれない。また、逆に、私が何かの病気をもっていたらと考えると、感染防止は相互に大切な事だと思った。

また、ファーストエイドは一生に一度だけ受講すればいいのではないことを痛感した。一緒にCPRを施した男性は、お勤めの頃、毎年ファーストエイド講習を受けて来られたそうで、自然に体が動いたとのこと。今後もボランティア事業にかかわらず受講し続けてゆきたいと思う。

備考/救助者は、その後、東京消防庁・赤羽消防署長より感謝状を頂いている。

落下事故

日時
1992年2月1日 11:40am頃
場所
国分寺市・多摩スワロー体育クラブ前
救助者
水野 一紀さん(MFAインストラクター)

出来事と救助者がとった行動

救助者の事務所前の2階建てアパートの外階段上段から、母親の目前で、3メートルの落差、20段のコンクリート製階段を2才位の男児が頭から一気に転げ落ちた。
母親の異常な叫び声を聞いたスタッフ4名と共に飛び出し、叫び続ける母親を落ち着かせ、泣き叫んでいる子供の初期および二次評価を始めた。外傷もなく、異常も認められなかったので、やっと落ち着いた母親に病院へ連れて行くように話して子供を引き渡した。

救助者の感想

自分達がスポーツクラブの指導員であること、子供を対象とした仕事であることから救急法の必要性を感じて、スタッフ全員が小児MFAの訓練を受けていた。そのことが緊急時に対応する自信となったようだ。母親を始め、先生やクラブのリーダーなどすべての人々が救急法を知り、お互いに手助けできる社会作りをしたいという思いがさらに強くなった経験であった。
後日、母親から軽い打撲であったとの報告を受け、ホッとした。

MFA善き隣人

MFA善き隣人賞

メディック・ファーストエイドの「善き隣人賞」(Good Samaritan Award)プログラムは、1983年から実施されています。このプログラムは、緊急時に一歩踏み出して習得したスキルを活用した、MFA受講者の皆さんを認識しようとするものです。

どのような緊急事態が起こるか前もって知ることが出来れば、どれだけ便利でしょう。しかし実際には、それぞれの緊急時は様々で必要な手当も異なります。善き隣人賞実例集は、応急手当を学んだ受講生が、それぞれ違った救急現場にも拘らず実際に手当を施すことが出来た事例を見せてくれます。

以下の実例集は、応急手当を提供したことにより、インストラクター、トレーナー、組織などから善き隣人賞にノミネートされ、受賞されたMFA受講者の皆さんの実話です。

手当を施した相手は家族、同僚、親友、通行人、または本人自身と様々です。実例集を読むと分かりますが、その時は大した事はしていないと思われる手当でも、患者に生きるチャンスを与えたり、後遺症の残らない回復を提供することが出来るのです。

救助体験をお知らせください

あなたが、MFAで習得したスキルやテクニックを活用して、誰かの緊急時のために、応急救護の手を差しのべた経験をお寄せ下さい。審査のうえ、善き隣人賞状と粗品を贈らせて頂きます。

善き隣人証申請・推薦用紙